ラトビアの首都リガ

キャスターつきのキャリーバッグと石畳はきわめて相性が悪い。
旧市街の激しい凹凸の道と格闘しながら、腰の高さほどもある重たいリモワを
必死で引っ張る音は、狭い道じゅうに轟音となって響きわたった。
(これって最高にかっこ悪いです)
ジャズやボサノバがいい雰囲気で聴こえるオープンエアのカフェで、
たくさんの欧米人たちが優雅にくつろぐテーブルのそばを
がたがた、ごろごろ、どすどすいわせながら必死に歩く。
グーグルマップと格闘しながら、
チビの日本人を嘲笑するような視線を跳ね返しながら、
ひたすら歩く。引き返す。また歩く。

通りの反対側から「サワ!」「サワ!」という大きな声が聞こえた。
もしかして、あたし? 異国で、しかも着いたばかりの見知らぬ国で、
自分の名前が唐突に耳に入ってくる不思議な感覚。
きょろきょろ見渡すと、古い建物の入り口で、太ったおじさんが
こちらに向かって手招きしている。
入り口のドアにはアパートの名前が小さく記されていた。
到着時間が過ぎてるから迷ってるんじゃないかと思って、
心配して通りに出てたんだよ。

なぜわたしってわかったの?
今こっちにやって来る東洋人は少ないからね。

おじさんは自分の名前を告げ、このアパートのオーナーだと言った。

ロシアの侵攻が始まってから中国人も韓国人もほとんど見かけなくなったんだ。
あなたは観光? 初めて来たの? この時期のラトビアは最高だよ。
英語とラトビア語が混じったような(たぶん)ものすごい早口で、
わたしの肩をポンポンと叩いて笑った。
そういえば、空港でもリガの街でも、
今回は東洋系の観光客をまったく見ていない。
いつもはどこに行ってもたいてい中国人の団体に出会ってしまうのだけれど。

たしかに出発前、わたしも何人かの知り合いに、何も今行かなくても…とか、
ミサイルが飛んでくるかもしれないよとか、
不測の事態に備えて大使館の連絡先を控えておいた方がいいとか、
いろいろ言われて、少し怖気づいたこともあった。
でも、いざ現地に着いてみると、そういった不穏な空気は微塵も感じられない。

オーナーのおじさんは、コンビニの場所や朝食におすすめのお店を
とても親切に教えてくれたけれど、
残念ながらそれを記憶にとどめる元気はもうない。
わたしの部屋は3階で、覚悟していた通りエレベーターはなかった。

薄暗い階段に、最後の力をふりしぼって、巨大な岩と化したリモワを引っ張り上げる。

キッチン付きのリビングとベッドルーム、高い天井。
ひとりには広すぎる部屋。
午後7時を過ぎようとしているのに、
通りに面した大きな窓から強い日差しが容赦なく差し込んでいる。
窓の向こうに広がるドゥァマ広場は旧市街のランドマークだ。

アパートの周囲のカフェは月曜日だというのにどこもにぎやかでうれしくなる。
酔っぱらって古い民謡みたいな曲を全員で歌い始める年配のグループもいた。
若い人ではなくて、ある程度年を重ねた人たちがおしゃれをして、
お酒を飲んで、おいしいものを食べて陽気に騒いでいる国。
それだけで、すでにラトビアが好きになった。

とはいえわたしは、ガタガタに疲れた体で今から外食する気にもなれず、
近くのスーパーマーケットでパンやチーズやハムを買って簡単な夕食をすませた。

窓の外にリーガ大聖堂の塔が見える。
現在の姿になったのは18世紀の後半で、てっぺんの雄鶏も健在だ。
200年以上も前の建物が、周囲の喧騒にこんなにも違和感なく周囲の喧騒になじんでしまうものなのか。
夜10時近くになってようやく日が沈みかけても
外はまだまだ明るいし、雲ものんびり漂っている。

投稿者: stabi@sawa

編集者・コピーライター。 趣味は海外の旅。1年に数回、思いついたところにふらりと出かける無計画な旅によるさまざまな失敗を重ねてもなお、旅熱は冷めやらず。

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